なぜ、人間は衝動買いをしてしまうのだろうか。
NHKの「ためしてガッテン」で「脳に待った! 衝動買いドキドキ心理学」という特集を監修し、次のような実験を行った。
被験者に「よくあるハサミ」を見せ「このハサミは何円するでしょう」との質問をする。ただし質問に答える前に、200から2000まで、200の数字ごとに刻みをつけたルーレットを回してもらった。
ルーレットが止まった数字を確認した後、先ほどのハサミを見せ、値段を尋ねる。すると面白いことに、本来は何の関連性もないはずのルーレットの数字に被験者は引きずられ、ルーレットで出た数字に近い金額をハサミの値段として答えた。
実験の被験者60人のデータによると、ルーレットの数字が小さい(200~1000)人と、大きい(1200~2000)人の間で、ハサミの値段の見積もりに700円以上の差が出た。400の数値が出れば「100円ショップに売ってそう」、反対に、高い数値が出ると「質が高そう」「よく切れそう」として高い値段を答えたのだ。ルーレットとハサミの値段が全く関係ないとわかっていても、その通りに行動できないのだ。
ハサミという、身の回りにある日常品についてもこうなのだから、よく知らない商品を選ぶときは、口コミ、コマーシャル、あるいは「限定品」「希望小売価格から50%割引」という魅力的に思える情報によってコロッと行動が変わってしまう。
人間は不確実な事象について予測をするとき、初めにある値(アンカー)を設定、その後で調整をして予測を行う。しかし、最終的な予測値が最初に設定する値に引きずられてしまい、十分な調整ができないことがある。この場合、ルーレットの値がアンカーで、ハサミの値段についての最終的な予測が、アンカーに引きずられていることになる。こうしたバイアスのかかる結果を「アンカリング効果」という。
仕事をしていると、たまに謎ワードを聞くことがある。「登場感が欲しい」とか。これはかなり謎だ。わかるようで、わからない。登場感、何となくわかるような気がするが、じゃあそれを作るためには何が必要なのかと考え始めると苦しい。これに限らず、ナントカ感、とつくような言葉がある。スピード感、緊張感、劣等感・・・「感」がつくことによって、どういう変化があるのだろう。
女性が言う、もてる男の条件に「清潔感」というものがある。これは清潔とは違う。単に風呂に入り、歯磨きをしてもだめだ。清潔感にはおそらく二つ条件がある。ひとつは、「手入れをしていることがうかがえる感じ」。無精ヒゲとか、衣服のしわ等がマイナス要因になる。無造作ヘアというのは、ぼさぼさ髪と紙一重だけれど、手入れをしている感じがうかがえればOKだ。もう一つは、「健康であることの表示」。適度な日焼けや、吹き出物などがない肌というのがポイントになる。これらは正直、清潔さとはほとんど関係がない。でも、清潔感とは深い関係がある。
あるウェブサイトを見ているとき、感心したことがある。スピードを表現しているのだけれど、サイトが非常に軽い。大画面の映像で、スピーディーな表現をやろうとすると、たいてい重たいサイトになってしまう。しかし、このサイトではスピード感を表現していた。よく見ると、表示はコマ送りでしかないのだが、一つ一つのコマは静止画ではなく、動いている残像のコマなのだ。コマ送りでしかなくとも、残像が入っていることによって、人間はスピード感を感じることができる。スピードではない、スピード感の表現。
もっと抽象的に、自由と自由感の違いというものもありそうだ。自由というのは、何にも妨げられないで主体的に振る舞えることだと言える。では、何もない画用紙に、好きに自分を表現する、というのは自由だろうか。客観的には自由かもしれないが、頼りどころがない。子供だったら、塗り絵の枠線が書かれている方が自由だろう。Twitterは、好きにつぶやけと言う。そのとき、140字の文字制限がある。好きにつぶやけというのは不安を感じさせるけれど、140字の限定は自由感をもたらす。あるサイズの限定は自由ではないかもしれないけれど、自由感を生む。
バックパックを背負って海外に出かけていたころ、マレーシアのなんだかわからない街に泊まったことがある。長距離鉄道に乗っていて、たまたまそこで降りただけ。観光地でもなく、日本人も見あたらない。そんな街に、ほとんど誰も泊まっていない宿があった。一泊、百円くらいだったその宿には、窓にガラスはなく、シャワーも水しかでない。じゅうたんもなく、布らしきものはベッドの上にしかない。備品と呼べるものは灰皿くらいで、この灰皿だって何かの食品の缶詰が置いてあるだけで、ほかには豆電球が部屋に一つ。そんな宿だったが、気持ちは非常に自由だった。こんな状況で感じる自由は、自由というより自由感だろう。
「感」がつくとき、その概念は人間のカタチになっている。わかるようでわからないこの「ナントカ感」を把握することが、表現やコミュニケーションにおけるコツなのかもしれない。